2011/02/13
シンポジウム「川は誰のもの?」、1日目無事終了!
保津川の未来を考えるシンポジウム「川は誰のもの?~川の利活用を考える」の1日目、保津川下りに乗船して、保津峡の文化的遺産を訪ねるツアーが行われました。
準備に手間取り、シンポジウムやツアーの開催をお知らせするチラシが出来上がったのは、1月31日。実質10日ほどの告知期間で、はたしてどれだけのお客さんにお越しいただけるのか、ドキドキしながらのツアー実施でしたが、予想を大きく上回る、43人もの方にお申し込みをいただきました。
午後1時に亀岡の保津川下り乗船場に集合し、3艘の舟に分かれて出発です。今回は、普段は舟を漕いでいる船頭さんたちに特別にガイドとして乗船していただきました。当初は2艘の舟を予定していたのですが、急きょ3艘目を手配することに。私が乗船した3艘目のガイドは、保津の歴史に大変詳しい、西口純生さん。亀岡の市議会議員でもある西口さんですが、精力的に昔話の聞き取り調査などを進めてこられて、本にまとめられたりもしています。
みなさんが手にされているのは、100年前の保津川のようすを紹介した「母なる川・保津川~セピア色の絵葉書で下る~」、明治時代から大正時代にかけての絵葉書を、保津川の地図とともに紹介したものですが、実際に川を下りながら100年前の風景と比べてみると、同じ風景、変わった風景がいろいろで面白いものです。
ちびっ子が手にしているのは、西口さん手作りの「保津川検定」。保津川のいろいろなエピソードがクイズ形式にまとめられています。地元の保津小学校の子供たちは、すらすらと問題を解いて、最高点は98点、平均点も70点くらいだそうですよ!
さて、今回のツアーは単に舟に乗って保津峡を下るだけではなく、途中で舟から降りて保津峡に残る綱道などの遺構を実際に歩けたのでした。
この険しい岩場に、幅が50cmほどしかない道がついています。この道こそ、60年前まで舟を引き上げていた「綱道」。一昨年の冬に、60年ぶりに曳き舟を再現した場所でもあります。
こんなところを昔の船頭さんたちは舟を引っ張って、歩くのではなく、走っていたのです!曳き舟の再現にあたった船頭さんからは、そのときの苦労話なども教えていただきました。
次のポイントは「奥の段」。ここにも保津川の水運の歴史を伝える遺構が残されています。いつもの保津川下りだったら一瞬で通り過ぎてしまうこの場所も、船頭さんたちのたくみな棹さばきで3艘の船をぴたりと接岸。案外、外から見ている方がスリル満点だったりします。
さて、ここに残る遺構とは、船頭さんの説明を聞くみなさんの足元にある石組のことです。「水寄せ」や「石ばね」と呼ばれる石組は、保津峡の随所に残されています。400年前に保津川が開削されたときに、水の流れをコントロールして通船が可能になるように設けられた「水寄せ」は、その多くは今も修復を重ねながら現役で使われています。
ところがこの場所の「水寄せ」は、舟を引き上げる「上り水路(のぼりみと)」で、曳き舟が終わると同時に使われなくなってしまいました。毎年のように襲う洪水でいつしか完全に埋まってしまい、結果的にじっくりと眺めることができるようになりました。
兄弟そろって生まれて初めての保津川下りだとか、お兄ちゃんは一生懸命にメモを取ってくれていました。
嵐山に無事到着、みんなで記念撮影です。
みなさん口ぐちに「楽しかった!」「面白かった!」と感想を口にされていました。遠くは福知山や東京からもお越しいただきました(!)冬の保津川下りは、お客さんが激減してしまうのが大きな課題になっています。ですが、そんな時期だからこそ楽しめるツアーもあるのではないか、と改めて感じました。
ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました!
さて、ツアーのあとは、2日目のシンポジウムでお話をいただくゲストスピーカーのみなさんを囲んでの懇親会。
今回のシンポジウムには、山形・最上川や東京・多摩川、高地・四万十川から、それぞれの川で面白い取り組みをされているみなさんをお招きしました。そのみなさんを囲んでの懇親会、栗山・亀岡市長にもお越しいただき、にぎやかな懇親会となりました。
さてさて、2日目はどんなお話をきけるのでしょうか?続編はまた後ほどアップしますのでお楽しみに!