2009/06/19
筏で流す材木が、嵯峨・車折神社の社の玉垣に使われます!
9月に筏に組んで保津川を流す木材を、嵯峨・車折神社の大国主命を祀るお社の玉垣に使ってただだけることになりました。
(京都新聞、昭和48年11月10日付。クリックすると拡大します)
古来、保津川での筏の終着点は嵐山・渡月橋の臨川寺浜でした。
そこで筏がバラされ、古くは渡月橋下にて、戦前くらいの時期は現在、京都嵯峨芸術大学がある辺りの貯木場にてしばらく保管され、西高瀬川を通って京の都へと材木として運ばれていました。材木は、千本通りまで運んでいた事もあり、戦前戦後あたりは、嵐山からすぐの三条通沿いを流れる高瀬川に、材木屋さんがひしめいていたと言います。
当時は大変な活況を呈していたそうで、現在では三条通の材木屋さんも数えるほどにまで少なくなってしまいました。
西高瀬川から引き上げられた丸太は、そういった材木屋さんで製材され、京都市内各地に出荷されていたようです。また、関東大震災直後は関東地方まで出荷していたとも聞きます。保津川で運ばれる材木の、その運搬経路の終点ともいうべき二条駅近くの千本通りには、「銘木」となうった材木屋さんが今もたくさん軒を並べていることからも、往時の賑わいが偲ばれます。
また、毎年5月の第3日曜日には、渡月橋上流の大堰川(保津川)では「三船祭」が開催されています。この祭は、平安王朝の貴族たちの舟遊びを再現したものと言われていて、三条通の材木屋さんが立ち並んでいた真ん中にある、車折神社です。
「車折」、と書いて「くるまざき」と読みます。
もともとこの地が死後に人の罪を裁く五道の冥官の霊地といわれ、社前を通る牛車の轅(ながえ)が折れ、牛も倒れるという現象があったことに由来し、鎌倉時代前期に後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御行幸されていた時もこの社の前で牛車の轅が折れたことから、朝廷から「車折大明神」の御神号が贈られました。
三船祭が行われる大堰川との縁は、昔から大洪水で毎年大きな被害が出る大堰川の復旧工事に当たっていたのが藤原頼業公の子孫一族であった事から境内に、水の神様を祭り治水を祈願したことに由来しています。
以前から個人的なご縁があったので、筏で流した材木を何かに使って残してもらえないでしょうか?と打診していたところ、快諾いただきました。
そこで、先日、材木をどこに使うのか?といった説明を受けてきました。
到着すると、応接室に通していただき、図面にて説明いただきました。宮司さんによると、大国主命の玉垣に使うとの事です。現在使われている玉垣は、約30年前に作ったもので、だいぶ傷んでいるとの事で、今回はそれを新しく作り直すのに使っていただけるそうです。
「塗り」についても面白い事を教えてもらいました。
ペンキで塗ると、木が呼吸できなくなり、痛みが早いとの事。日本古来の「朱塗り」なら木が呼吸でき、長持ちするそうです。
また、最近では老朽化した公園の遊具の事故などが頻発してますが、鉄は内部から劣化するから、痛み具合が分かりづらく、ああいう事故につながるわけですが、木なら外側から腐ってくるので、傷んできたら一目で分かり、事故になる前に修理なり交換できるらしいです。
なるほど、やっぱり昔からの知恵ってすごいなぁ、と改めて感心しました。ちなみに、今回の玉垣は塗りを施さずに白木のまま、と言うことです。
余談ですが、写真は、掛蓬莱というもの。正月の縁起物との事です。稲とひかげのかずら(苔の一種)で出来ていて、装束屋さんにお願いしてお正月に100本作られているそうです。コケがこんなに生長するとは!
まだまだ日本古来の不思議なことがたくさんあります。
屋内での説明を受けたあと、現地を案内していただきました。車折神社の駐車場横です。一見、ちょっと古いな、と思う程度でしたが、近くによって見ると、かなり腐食が進んでいます。
シロアリに食われたのかボロボロになっていて、中には接地していないものも見受けられます。周りの木にぶら下がっているだけ状態です。
保津川の筏だけではなく、何百年もの間 連綿と受け継がれてきたものが、ここ数十年で廃れてきています。特にここ10年くらいで経験者が本当に途絶えてしまう危機に瀕しています。筏をただ流すだけでなく、「地域の文化=個性」を次世代に残すことが、現代の我々に課された責務だと思います。
私たちは、そういったことを「重く」感じて実行するのではなく、楽しんで継続できれば、と考えています。私たちの流す筏の記憶も30年間、こうして玉垣という形で留めることが出来るとすれば、非常にありがたいことです。
(H)
[E:heart]初めまして
今朝 筏の夢を見ました
何か意味がありそうで
夢の内容で検索したところ
こちらにたどり着きました
先にお断りなくて申し訳ありません
ブログに引用と
こちらのブログの紹介をさせていただきました
長い間受け継がれてきた事
これから先も消えることなく
残していきたいですよね