2008/09/12
保津川筏復活プロジェクト~願いから夢へ~後編
保津川筏復活プロジェクト2008レポート・後編です。
午後の部は、環境・歴史・文化教室も兼ねた市民対象のイベントです。
今回は地元の保津小学校、南丹高校の生徒さんが参加しました。
亀岡市文化資料館の黒川館長より筏の歴史・文化のお話のあと、トンカチを使って「カン」を丸太に打ち込んだり、筏に試乗したりと筏に触れるイベントです。
小学校の生徒さんたち、はじめて乗る筏に大興奮!!このイベント最高の盛り上がりを見せていました(笑)。この笑顔に今までの苦労が報われますね。
このイベントも佳境を向かえいよいよ60年ぶりの「筏流し」へと向かいます。
6連の筏が繋がれ…。最後尾6連目の材木は亀岡市篠町にあります長尾山の里山事業に使われるヒノキ材です。
そして、昔は筏の上にいろんな物資を載せたそうですが、その再現としまして、樫の板が積まれ…。この樫の板はプロジェクト保津川オリジナルの箸へと姿を変える予定です。乞うご期待!
いざ、山本浜へ。期待と不安が交錯します。緊張の時です。
最初は緩やかな流れ。ゆったりと筏が流れていきます。
この筏流しの間、㈱アオキ・カヌーワークスさん協力の下、撮影用と救助用のラフティング2艇が伴走します。心強い限りです。
そして、約20分後、最大の難関「保津小橋」へ。
落差のある流れに先頭の筏が、流れの中に潜っていきます。最高ひざ下まで潜ったでしょうか。「昔、冬場に下ると足元がずぶぬれになり凍りつきそうでつらかった。」とおっしゃていた酒井さんの言葉が心に浮かびます。
難関突破!!いざ山本浜へ。
そしてゴールの山本浜。
約3キロ約40分ほどの筏流し。嵐山へはあと約13キロ。近いようで遠い嵐山。
あ船頭さんの感想では「急流より緩流の方が筏の操り方が難しかった。」とか。「以前はとても嵐山まで…と思っていましたが、少し嵐山が近づいた気がします。」など。前向きな感想が聞かれました。頼もしい限りです。
さあ筏の搬出です。南丹運送さんの協力の下、1連づつワイヤーで引き上げていただきました。
文化資料館まで運ばれ解体作業。
積み上げられた材木。ご苦労様でした。
今回の保津川筏復活プロジェクト、その発端は昨年の夏に京都の日吉ダムで行われた「天若湖アートプロジェクト2007」へとさかのぼります。桂川(保津川)の流域のつながりをテーマに参加させていただきました。
http://hozugawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/2007_8f55.html#more
しかし、諸事情で川へは浮かべられず、陸の上での作成。一部の見学者の方々から「筏は川に浮かべなければ意味がない。がっかりしました。」という言葉をいただきました。いつしか筏で保津川を下ることが「願い」となりました。
そして今回、いろいろな関係者の協力の下、2年がかりで何とか保津川に筏を流すことができました。ありがとうございました。
かつて、「丹波産」の木材が「筏士」により「桂川(保津川)」を下り京の都に運ばれていたように、「山(森)と河川、そして流域の人々のつながり」をうまく表現できたかわかりませんが、次の「夢」へとつながっていきます。
丹波の山の木材を切り出し、筏で桂川(保津川)を流し、そして、京の都で何か象徴的なものを作りたい。
それは流域の人々のつながりが必要です。
その夢目指して…!
筏の伝統はゆっくりと元筏士の方々から現役の船頭さんへと引き継がれていきます。
そう丹波の歴史と文化が皆さんへと引き継がれていくように。
最後に元筏士の上田潔さん、酒井昭男さん、暑い中、一日中お付き合いいただき、本当に有難うございました。
(K)