2008/06/15
桑田神社
保津峡の入り口、亀岡盆地を見渡す高台に、2つの神社が峡谷の両側に向き合うように鎮座しています。
古くは丹波(たにわ)といわれ、赤い土で染まった大きな湖だったこの地を、出雲大神が八人の地祇と協力して、浮田(請田)の狭を切開き、湖を干拓して桑畑(桑田)に変えたといいます。その謂れにより左岸に請田神社、右岸に桑田神社、そして干拓に用いた鍬が山を成した上矢田の地に、鍬山神社を祭ったと伝えられています。
このうち桑田神社と請田神社の祭神は大山咋命と市杵嶋姫命。京都最古の神社である松尾大社と同じ神様です。今回はその一つ、桑田神社を訪れました。
神社の鳥居前にある手水舎の水が湧き出るところはなんと鯰!ちなみに桑田神社の紋も鯰です。このことからも、川とのつながりが深い神社であることが伺えます。隣に立てられている神社の由緒を記した説明版には
「ここは保津の急流を見下ろす景勝の地にあり、古代集落の成立に適し、盆地の入口に当り政治的にも重要地位を示していたと考えられ、秦氏の勢力がいち早く波及したところである。近世、篠村七郷から厚い崇敬をうけている。」
と記されています。
つまり、古代の京都を支配し、平安京の礎を築いた渡来人系の豪族である秦氏が丹波地方を開拓する際の拠点にした地、といえるのかもしれません。実際、松尾大社に伝わる言い伝えにも、
「大山咋神は丹波国が湖であった大昔、住民の要望により保津峡を開き、その土を積まれたのが亀山・荒子山(あらしやま)となった。そのおかげで丹波国では湖の水が流れ出て沃野ができ、山城国では保津川の流れで荒野が潤うに至った。そこでこの神は山城・丹波の開発につとめられた神である。」
とあります(松尾大社ウェブサイトより転記)
1300年以上も前に、当時の最新技術を携えて京都を開拓した秦氏の足跡は、亀岡のいたるところにも残っています。
境内から亀岡盆地を望むと、保津川が悠々と流れていました。1300年前の景色は、どんなものだったのでしょうね。
プロジェクト保津川 原田