2007/11/11
船頭が眺める「嵐山もみじ祭」
紅葉の名所が多い京都にあって、平安の古から王朝貴族に愛された地が嵐山。その嵐山を絢爛と彩る「嵐山もみじ祭」が今日11日に催されました。
保津川の急流が静かに流れだし、大堰川と名前を変える渡月橋上流の水面には、車折神社や天竜寺など嵯峨嵐山周辺の各社寺が趣向を凝らした飾り舟を浮かべ、船上舞台で和歌を詠んだり雅楽の音色を奏でるなど、平安時代の古式ゆかしい芸術を演出、優雅な舟遊びに興じていた大宮人に思いを馳せ、平安絵巻を再現するという優美な水上ページェントです。
平安時代の大宮人は‘美’というものにとても敏感であったのでしょう。
紅く色づく美しい嵐山の紅葉に、自らの優美さを映すように絢爛な芸能を競って披露したのかもしれないですね。
このような王朝貴族の雅で絢爛な飾り舟が浮ぶ同じ水面を私達の保津川下りの舟が横切って行きます。
それは平安の時代、優雅に舟遊びに興じる平安貴族の舟の横を丹波の国から保津川を下り、都を造営する為の木材を輸送した筏の様に。
同じ川の上を、時には舟遊び場所として、また時は産業水運として・・・
今も昔も、川と人のつながりには興味深いものがあると感じます。
そして現代、高貴な大宮人が余興に遊んだ優雅な舟の横を、庶民の暮らしを底辺で支えてきた荷舟出身の保津川下りの舟がすり抜けていく。なんともミスマッチな風景のようにも感じますが、王朝文化と庶民文化が融合してつくり上げてきた京都の歴史を象徴するような風景だと思いながら、私は毎年、この祭を眺めています。
大宮人の優雅な文化と町衆・庶民の逞しい文化が、観光という同じ産業として今に残る姿が京都という‘まち’の魅力であり、多くの人々の心を惹きつけてはなさない秘密だと感じます。
そしてこの嵐山の美しい景観と清らかな水が守られている限り、いつまでも多くの人の心を惹きつけ愛され続けることでしょう。
その意味からも、私達の上流での環境保全活動の使命は重大だなと感じる次第です。
プロジェクト保津川 豊田