2009/06/08

初夏の保津峡エコツアーが開催されました!(後篇)

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「初夏の保津峡エコツアー」も昼食を終え、いよいよ後半です。さて、後半にはどんなプログラムがあったのでしょう?

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昼食の後は、そのまま鵜飼の浜周辺のごみ拾いを行いました。

この辺りはなぜか空き缶が大量にあります。見たことも無い古い空き缶やなぁ!と思っていたら、なんと、80年製造と書いてありました。
昭和55年、今から28年前!
私はまだビールを飲んでませんでした(笑)。

また、JR保津峡駅までトイレに行ったのですが、その途中にもゴミがたくさん捨てられています。
上にある道路からゴミを捨てるため、頭上にゴミがぶら下がったりもしています。
消火器なども捨ててありました。
まだまだ土の中に埋まったりして残っていたのですが、この場所だけで、これだけのごみが出てきました。

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集めたゴミはここでも土嚢袋25袋分になりました。ほかに看板、ホイール、タイヤ、バーベキュー網などいろいろ。金岐の瀬とあわせてかさ容量で約1tになりました。ちなみに、後ろの黄色い看板は「落石注意」の看板が流されてきていました。きっと台風のような大雨の時に流されてきたのでしょうね。

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ゴミは翌日に船頭さんたちが回収に来てくださる、ということで、一か所にまとめておきます。掃除も終わって、舟にふたたび乗り込み、出発です。

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保津峡では、ちょうど岩つつじが満開を迎えています。

実は岩つつじも天然記念物、小さな赤い花が目を楽しませてくれます。増水したら流され、夏の暑い日には岩場で熱せられる、そんな過酷な環境に生きる岩つつじですが、最近では異常に増えている鹿に食べられてしまったり、心ないハイカーが持ち去ったりすることもあって、一時はほとんど姿を見かけられなくなっていました。そんな中、「亀岡・山野草の会」のみなさんたちによって、かれこれ30年近く、岩つつじの植樹が続けられてきて、何とかふたたび増えてきています。聞くところによると、90歳を超えたおばあさんも少しずつ増えているのを楽しみにして、毎年植樹に参加されているとか。

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岸壁ギリギリをすり抜けます。まさに、職人技です。

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トロッコ保津峡駅のつり橋をくぐります。この駅は新線に切り替わる前の山陰本線の旧保津峡駅でした。川では前日には鮎釣りが解禁になり、たくさんの方が釣りに来られていました。

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今回のエコツアーでは、初めて「プロジェクト保津川」ののぼりを舟に立てて下りました。なかなか勇ましく、いい感じでしょう?

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奥の段、とよばれる場所で再び上陸です。ちなみに「奥の段」とは、嵐山から見て「奥(上流)のほうにある段」という意味です。

ここでは船頭さんに川作(かわさく)の実演をしていただきました。川作とは、
船の運行ルートとその安全を確保するために行われる作業のこと。川の中の岩を動かしたり、あるいはまったく動かない大きな岩(「根石」、最近では若い船頭さんは「地球」と呼んでいるそうです、笑)があるような場合はその前後に胴木と呼ばれる丸太を沈め、直接舟底が岩にあたらないようにします。

峡谷では重機を入れることが出来ないため、当り前ですが人力での作業。400年の間、舟の安全を守るために続けられてきた、いわば保津川下りの知られざる舞台裏のお仕事です。

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急流にある大きな岩にワイヤーをかける作業を演じていただきました。酸素ボンベも水中眼鏡もなしに、本当に「潜って」しまいます。
航路をふさぐような大きな岩が流れてくるところ、というのは流れの急な場所。水中では目を開けるなんてことも当然無理なので、手探りでワイヤーをかけていきます。

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油断すると、あっという間に10mや15mは流されてしまうそうです。
「そらそうやろ!」と突っ込みたくもなるような急流、しかも大雨の後などはさらに流れは激しくなります。
「筋力も必要やけど、もっとも大事なのは“気合”!」とのこと、
さすが船頭さん!

新人の頃は「行け!」と言われても、足がすくんで川の中に入っていくことすらできないそうです。怖い、なんて思った瞬間に事故につながりかねない危険な仕事、実際に危ない目にあったことも一度や二度ではないそうです。

保津川下りの船頭さんたちの間には「川根性」という言葉があります。単に舟を操るだけではない、川と向き合う中で受け継いでこられた気概、そういえば保津川下りでは船頭さんたちの間では自分たちのことを「船頭」ではなく、「船士(せんし」と呼ばれていますが、そんな仕事に対する誇りを見せてもらったような気もしました。

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その後、今、制作している「保津川ゴミマップ」」の簡単な紹介をしました。

保津川はきれいな川と思って来てみたら、実はゴミだらけだった、と思う人も多いと思います。
その現状をいろいろな人に伝えるために、撮影したゴミの画像をインターネット上の地図にマッピングして表示します。
屋外でPCの画面を見てもらうのはちょっと無理があったかもしれませんが、こんなことをやっているんだ、ということを分かっていただけたでしょうか。

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参加者全員で記念撮影です。
後ろに見えるのは、明治32年の山陰線開業当初からある鉄橋で、当時は東洋一の規模を誇る鉄橋だったそうです。ちなみに今までで一番増水した伊勢湾台風のときは、鉄橋まであと数mのところまで水が来た、と言われています。

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渡月橋まであと一息、最後の「大瀬」を一気に下って行きます。この急流を下ると「保津川」は「大堰川」に名前を変えます。

実は保津川は、上桂川→世木川→八木川→大堰川(大井川)→保津川→大堰川→葛野川→桂川などというように、何度も名前を変える川でもあります。今では、「桂川」が一応の国の統一名称になり、また場所によっては忘れられてしまった名前もたくさんありますが、それでも昔から人々とのつながりが深い川だったことが、たくさんある名前からもうかがえますね。

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さて、今回は通常の下船場でなく、舟を引き揚げる着船場まで舟に乗っていきます。普段なら決して出来ない、渡月橋を舟でくぐり、ゴールに到着です。

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最後に、閉会式を行いました。今日一日お世話になった船頭さんたちに感謝の拍手をして、解散です!ありがとうございました。

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そして閉会式の後は、順番に「嵐楼閣」の足湯につかって疲れをほぐしてから帰路についてもらいました。

長い1日、お疲れ様でした。
普段なら絶対体験できない保津川下りを経験してもらえたのではないかと思います。
身近にあるものを本当の意味で身近に感じてもらい、愛着がわくことで、大切にする心が出てくると思います。
そういったことを思い出すひとつのキッカケになれば幸いです。

ぜひまた、こういう機会を設けたいと思いますので、今回参加できなかった皆様もぜひお越しください!

(H)

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