2010/01/05

保津川下りヒストリカルツアーが行われました

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少し前のお話になりますが、昨年末16日、「保津川下りヒストリカルツアー」が行われましたので、その様子をお知らせします。昨年40年ぶりに復元された木造船に初めて一般のお客様を乗せての、保津川水運の歴史をたどる旅、さてどんな一日だったのでしょうか?

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今回のツアーは、保津川下りを運行する保津川遊船企業組合と、保津川の世界遺産登録をめざす会、そして私たちプロジェクト保津川が協力して企画した、初めてのツアー。単に川を下るだけではなく、造船所を見学したり、保津峡谷の途中で船を止め、上陸して水運の遺構を見学したり、という「初めて」づくしのツアーとなりました。

集合場所の亀岡駅改札口前には、船頭さん手作りの歓迎の目印。ツアーの企画という意味では素人ばかりで、難しい問題をひとつひとつクリアして実現にこぎつけました。

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通常の保津川下りは3,900円、それでも高い高い、とよくいわれるのですが、今回のツアーはその倍以上となる8,000円。といっても利益が出るわけではなく、手弁当で集まったスタッフの熱意で実現したお値段ですが、それでも20人を超えるみなさんに集まっていただくことができました。

おりしも百年に一度といわれる不況。この状況をなんとか打開しよう、と、京都では「京都知恵と力の博覧会」というイベントが行われました。京都には寺社仏閣だけではなく、それを支えてきた数々の伝統産業があり、また最先端のハイテク企業も数多く立地しています。そういった京都の「知恵と力」の舞台裏も楽しんでいただこう、という、いわばパビリオンのない博覧会です。

ここ亀岡で、全国のみなさんに誇れるものは何か、というと、それはやっぱり400年の伝統をもつ保津川下りではないでしょうか。でも、亀岡市民にすら、景色がキレイでスリルのある、「単なる観光川下り」としか思われていないのが残念ながら現実です。(かくいう私も、プロジェクト保津川の取り組みを通じて船頭さんたちと知り合うまではそうでした)

そこで、知れば知るほどに奥深い、保津川水運の400年の歴史や、船頭さんたちに伝わる伝統技術を体験していただこう、と企画したのが今回のツアーでした。

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ツアーの初めは、まず亀岡市文化資料館で、保津川水運の歴史と、保津峡谷に残る遺構を紹介したDVD「曳舟・綱道」を鑑賞いただきました。それに先だって、今日一日ツアーをお世話になる船頭さんたちの自己紹介です。いつもプロジェクト保津川の活動や、筏復活プロジェクト、木造船プロジェクトに熱心に協力いただいているみなさんばかり、今日もボランティアでかけつけてくださいました。

資料館で鑑賞いただいたDVDは、昨年1月の曳き舟の再現プロジェクトを記録したものです。

これがなかなかの力作で、ご覧になった方からはどこかで買えないの?という質問をたくさんいただきました。(実は非売品なんです・・・スミマセン。)

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一行はその後、保津川下りの造船所へと移動し、どのようにして舟が建造されるのか、船頭さんの解説を聞きながら見学しました。

 

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現在の舟はFRP(強化プラスチック)製となっていますが、形そのものは基本的に木造船の時代と同じ、曲がりくねった保津川の急流を下っていくための、ほかの川にはない独特の形をしたものとなっています。

木からFRPへと材料が変わる中で、変化したもの、変化しなかったもの、そういったお話を実際に船を目の当たりにして聞くことは楽しいものです。

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ところで保津川下りの舟は、誰が作っているのか、ご存知でしょうか?最近までは専属の船大工さんがいらっしゃいました。また、それより以前は亀岡市内にもたくさんの船大工さんがいらしたので、そういった人々によってこの川を下る舟は作られていました。

しかし、昨年、定年で船大工さんが退職されたのをきっかけに、「自分たちの舟は自分たちで守りしていこう」と、若い船頭さんたちが立ち上がられました。これは実に江戸時代以来のことなんですよ。

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造船所の見学のあとは、お待ちかね、木造船に乗っての川下りの始まりです。

昨年の冬、40年ぶりに建造された木造船。木造船が完全に退役したのが昭和52年ですから、木造船に一般のお客さんが乗って川下りを楽しむのは、それから数えても実に33年ぶりのことになります。

実は、今回のツアーに間に合わせるために、この木造船も自動車の車検にあたる船舶検査を12月初めに受けて、晴れてみなさんを乗せて川を下ることができました。船舶検査を受けないと定員は6名までと限られ、検査を受けることで本来の12人のお客さんに乗っていただくことができるようになったのでした。

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ただ、ツアーのお客さんは23人、当然1艘には乗り切れませんのでもう1艘の冬季船に分かれてスタートして、途中で交代して乗り心地を比べてもらおうということになりました。

冬季船はご覧のようにテントが張ってあって、中にはストーブも置かれていてポカポカ。木造船は冬のきりりとした峡谷の空気を味わっていただこう、ということです。でもそれだけではなく、木造船は船全体が「たわむ」ように作られているのでFRP船よりも乗り心地が穏やか、という比べる楽しみもあります。

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夏目漱石が作家としてデビューした「虞美人草」の中にも保津川下りが描かれていますが、その中で

傾むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻み足に、船底に据えた尻に響く。

と記しています。昔の保津川下りは、船底に赤い毛氈を敷いて、その上に直接座っていました。そう、冬季船は、その当時と同じ「乗り味」が楽しめたりもするのです。

 

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木造船を撮影したい、という声にお応えして、舟を並べたり順番を入れ替えてみたり、櫂引きの体験をしてもらったり、といつもの川下りとは一味違うゆったりとした旅の始まりになりました。

でも、明治~大正時代の保津川下りを写した絵葉書をみると、やっぱりかつてはそういう楽しみ方もされていたようです。現在と違って当時は川を下る舟もぐっと少なかったからこそ出来たということや、お客さんもある程度裕福な人も多かった、ということもあるでしょう。

現在の保津川下りは年間30万人もの方がお越しになり、特に春や秋のピーク時には残念ながらこういう楽しみ方を提供できる余裕がないのも現実です。だからこそ、お客さんの数も減る冬に、夏とは違う楽しみを提供し、この川の歴史や環境をじっくりと感じていただければ、と思いました。

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さて、ツアーの一行は保津峡の「清水」と呼ばれる渕で舟を止め上陸しました。先に着いた舟からみなさんが降り立って歩いている道は、60年前まで嵐山まで下った舟を引き上げていた「綱道」と呼ばれる道です。

幅わずか30cmほどの足元の悪い、道とはいえないような道を3人の船頭さんが綱で引っ張って亀岡まで舟を引き上げていたのでした。嵐山から亀岡まで、大体4~5時間、草履が擦り切れて代りの草履を持っておかないといけないほど大変なお仕事だったそうです。

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保津峡の中には、このような綱道のほかにも、舟が安全に航行できるように築かれた「水寄せ」と呼ばれる石垣など、さまざまな遺構が残っていて、しかもその多くは今も現役で使われています。

 

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昼食は、「鵜飼の浜」に上陸して猪汁をいただきました。この猪汁に使った猪肉も亀岡産。しとめたのは、猟師さんでもある上の写真真中に写っている船頭さんです。

といっても、まだ30代の若い方。私とさほど歳の変わらない人が、船頭さんでもあり、船大工さんでもあり、お百姓さんでもあり、そして夏は魚の漁師さん、冬は獣の猟師さんでもある、身近なところにほんの少し前までは日本の各地で見られたであろう「大人」の姿が、今でもごく普通に見られる、そんな点もこの川の面白いところだなあ、と思います。

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昼食のあとは「奥の段」と呼ばれる場所に再び上陸。ここでは船頭さんから棹のお話を聞いたり、実際に曳舟を体験していただきました。

曳舟、実は大変な力が要るように見えて、案外簡単に舟が進んでしまうこともあります。川の流れが岸近くでは渦を巻いているために、その力で舟がすっと進んでしまうのですが、これがくせもの。そうすると今度は曳き綱がたるんでしまい、水に浸かってしまいます。水を含んだ綱は当然重くなるため、いざ力が必要な場面では、よけいに力が要るようになります。だから舟を引っ張る船頭さんは綱が張った状態になるよう常に走り通しだったとか。単純に力任せだけではできない、長い歴史の中で受け継がれてきた「技」があるのです。

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ゴールの嵐山に到着して、みなさんで記念撮影。

今回のツアーは私たちにとっても初めての経験で、至らぬ点も多々あったことと思いますが、なにとぞご容赦ください。寒い1日ではありましたが、楽しんでいただけたら何よりです。今回の経験を活かして、保津川の歴史や文化を身近に感じていただける機会をこれからも考えていきたいと思います。どうもありがとうございました。

 

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