2010/02/19
保津川下りの船頭さんのバングラディシュ視察が新聞で紹介されました!
保津川下りの船頭さんでもある豊田知八・プロジェクト保津川副代表が、京都大学のプロジェクトで訪れたバングラディシュのことが京都新聞で紹介されました。
プロジェクト保津川では、かねてより京都大学・東南アジア研究所生存基盤科学研究ユニットで行われている「在地と都市がつくる循環型社会再生のための実践型地域研究」(代表:安藤和雄准教授)とともに、研究プロジェクトを進めてきました。
保津川筏復活プロジェクトを通じた山・川・まちのつながりの再生や、毎年恒例になっているJICA(国際協力機構)によるバングラデシュからの研修生などの受け入れ事業など、数多くの取り組みを進めてきました。
- 5ヶ国の視察団が保津川下りを訪問されました(2008.03.05)
- バングラディシュからプロジェクト保津川へのインタビュー(第2回目)(2008.10.15)
- バングラディシュからプロジェクト保津川へのインタビュー (2008.04.08)
そんな中、今度は保津川下りの船頭さんにバングラディシュを視察してもらおう、と行われたのが今回の視察事業です。
保津川下りの歴史は古く、今から400年前、慶長11年(1606)の角倉了以による保津峡開削に遡ります。また、筏流しの歴史はさらに前、平安京造営以前から始まったといわれています。やがて物資輸送の主役が舟や筏から、鉄道やトラックに移っても、なぜ舟運が生き残れたのか?もちろん、嵐山という観光地を抱えていたことも大きいとは思いますが、その陰にはずっと地域の人々の自治的な組織で舟運が受け継がれてきた、ということがあったと思います。
全国の他の舟運は、近代化の波の中で一度姿を消し、それまでとはまったく違う会社組織などによって観光川下りが始まっています。中には、近年の経済情勢のもとで親会社の電鉄会社の撤退などで川下りが運行中止に追い込まれるところもあります。かつて保津川下りも阪急電鉄資本で運行されていた時期もありましたが、その中でも船頭さんたちによる自治的な組織が絶えることなく舟運を支えてきたことが歴史を途絶えさせることなく、この地域の「伝統産業」として受け継がれてきました。
発展途上国でも今、近代化の波が大きく押し寄せてきています。その中で、いかにして地域の人たち自らの手で文化を伝えていくのか、この保津川には大きなヒントが隠されているのではないでしょうか。
船頭さんのバングラディシュ旅行記、ぜひお楽しみに!
大河悠然、バングラデシュ視察 保津川下り船頭の豊田さん
ジャムナ川を木造船で渡る豊田さん(手前)。船をこぐ竹ざおも握ったが、保津川下りのさおに比べて、先が細く長かったという(タンガイル・ジャムナ橋下流)保津川下り船頭でNPO法人「プロジェクト保津川」副理事長の豊田知八さん(43)=京都府亀岡市西つつじケ丘=がバングラデシュを訪れ、このほど帰国した。まだまだ開発途上の国だが、それだけに川の持つ魅力がたっぷり残り、観光資源も豊富だ。豊田さんに同国の印象を聞いた。
バングラ訪問は、農業基盤整備などを指導している京都大東南アジア研究所生存基盤科学研究ユニットの視察調査団(代表・安藤和雄准教授)の一員として同行し、同研究所特任研究員で保津川下り船頭の河原林洋さん(37)=同市千代川町=も参加した。
1月中旬に首都ダッカから、車で約6時間のタンガイルに入った。広く整った水田が広がる。京大の指導で進められている基盤整備によるものだ。二期作の水稲が植えられ、「肥沃(ひよく)な土地だけに食べることには困らない。果物も豊富だった」。
訪問目的の一つが、同国の水運事情の視察だった。国内にはヒマラヤ山脈を源流とする大河が流れる。驚いたのは大河オールドプラマプト川支流沿いの町ニキールを訪れた時だ。漁業で生計を立て、荷物の運搬や移動などすべて船。生活基盤が川とともにあった。
「急流がなく、雄大に広がる川景観には目を見張った」という。日本にはない光景で、「インフラなど整備が進めば、川を資源に外国からの観光客も見込める」と期待する。
国の中央を南北に貫くジャムナ川にも引きつけられた。日本人が設計した大きな橋が架けられていたが、移動の中心は船。船長15メートルの木造船が大活躍していた。
川の中州にある村「チョヨール」も訪問した。22家族が生活しているという。雨期や台風で村が流されると、新しくできた中州で再び村を形成する生活を続けている。
■逞しい姿に感嘆
豊田知八さんの話 中州の村もそうだが、人々が協力し合って逞(たくま)しく生活する姿は、日本人が失いかけているものを考えさせられた。また、環境に適応した素朴な生活姿勢にも、学ぶものがあった。
【バングラデシュ】北海道の約2倍の面積(約14万4千平方キロメートル)に、日本の人口を上回る1億5千万人が住む。1971年にパキスタンから分離独立。公用語はベンガル語で人口の9割弱はイスラム教徒。通貨タカ、1タカは1・3円前後。平均の月給は1300タカほどという。
京都新聞 2010年2月13日朝刊
http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P20100214000033&genre=K1&area=K40保津川下りの船頭さん
http://blog.goo.ne.jp/hozugawa/