2010/03/03

富山・氷見の船大工さん、保津川を訪問!

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2/27(土)の筏復活プロジェクトのシンポジウムの後、懇親会に駆けつけてくださった富山・氷見の船大工・番匠光昭さん。番匠さんは氷見の最後の天馬船船大工でもあり、全国各地の木造和船の研究を氷見市立博物館と共に進めてこられました。そんな番匠さんですが、翌28日(日)には、亀岡市内の保津川下りの造船所を訪問されました。

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左から順に、番匠さん、保津川下りの船大工でもある船頭の山内さん、船頭でプロジェクト保津川理事の豊田さん、氷見の木造和船復活の仕掛け人でもあるヒミングの平田さん、そして保津川遊船企業組合の小西理事長。

もう、舟の話ばっかりです(笑)

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山内さんが造船所に残されていた舟釘と、舟釘を打ち込む下穴を開けるツバノミを見せてくださいました。舟釘にもいろんな種類があるんだよ~、なんて話でまた盛り上がります。木造和船の「作り方」は、番匠さんの息子さんが、映像つきでブログに書かれているので、ぜひ一度ご覧くださいね!

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こちらは現在のFRP船を作る際の型枠。大小2つあるのは、下の大きいほうが保津川下りの舟のもの。上は嵐山通船の屋形船のもの。そう、嵐山の舟遊びでおなじみのあの舟も、実は亀岡生まれだったんですよ!

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造船所に立てかけてあった、まっさらの櫂(かい)をご覧になって、「海のと違って大きいんだね」とおっしゃっていました。氷見の船は基本的には櫓でこいで進みますが、保津川下りの舟はこちらがいわばメインエンジン。ちなみに今は洋材の桜(モアピー)を使っていますが、かつては国内産の山桜を使っていたそうで、戦後しばらくすると桜の大木が枯渇してしまい、洋材になってしまったそうです。

保津川下りの舟は岩場の急流を下るため破損が激しく、いい櫂は取り合いだったとか。中には勝手に拝借して怒られる人もいたよ、とは理事長のお話し。ちなみに現在の櫂は羽の両サイドが取り外し出来て交換可能になっていますが、それはボンドが一般に普及した戦後のお話しだそうです。時代とともに、少しずつ変化しているんですね。

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最後に、乗船場向いの河原で、10日の川開きのためにスタンバイしている木造船を見学していただきました。

最初、保津川の木造船の図面をご覧になった時には、なぜ底板が何枚にも分割されているのか分からなかったそうです。たわませて衝撃を吸収するため、としても、海の舟の場合だと波の力で舟がそれこそ木端微塵になってしまうそうです。船大工さんに、それもあるけれども、ここは岩で底を打って割れてしまうことも多いので、分割してあればその場で修理できる、ということを教えてもらって、「ああ、なるほど!」とうなづいておられました。

今の海のFRP船は、基本的には形はどれも同じ。川や海によって形は違っても作り方はやっぱり同じです。でも昔の木造船には、それぞれの地域の海や川に合わせた特徴があります。それぞれの地域に伝わる技術を伝えるということは、人がその地域で暮らしてきた長い歴史も伝えるということなのではないいかな、と、筏シンポに続いて考えさせられました。

番匠さん、平田さん、お疲れのところありがとうございました!

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