プロジェクト保津川

亀岡市民新聞に筏復活プロジェクトが紹介されました!

2008/09/07

20080906

9月6日付の亀岡市民新聞「10万人のふるさと讃歌」に、プロジェクト保津川の原田副代表が紹介されました。

今回は、保津川の環境問題、そして今週水曜日に本番を迎える「保津川筏復活プロジェクト」への想いが綴られています。

10日、保津川で60年ぶりに筏復活
プロジェクト保津川副代表理事 原田禎夫さん(33)

 かつて丹波と京都を結んだ筏を60年ぶりに復活させるイベント『保津川筏復活プロジェクト2008』が10日、保津川を舞台に開かれる。保津川の環境保全に取り組む「プロジェクト保津川」などのNPO法人と府南丹広域振興局、亀岡市文化資料館で組織する同プロジェクト連絡協議会が主催。伝統技術・文化を継承し「筏がつなぐ歴史の記憶」を蘇らせようとの思いを込める。
 昨年7月に復活した「プロジェクト保津川」の副代表理事をつとめる原田さんは「京都の川と言えば鴨川をイメージする人が多いですが、かつての保津川は材木の運搬を通して丹波と京都の人の生活に重要な役割を果たしていた。亀岡の人にも京都の人にも大事な川なのに、今は遠い存在になってしまっている」と話す。大阪商業大学経済学部准教授の傍ら、筏復活に熱意を持ち、さまざまな構想を練っている。
 原田さんが保津川に興味を持ったのは3年前。保津川が今、不法投棄や漂流ゴミ、水質悪化が課題になっていることを船頭さんから聞き驚いた。
 現在会員140名の同団体では、毎月第2日曜日に定例清掃会を実施し、流域に散らばらるバーベキューの残骸やペットボトルなどを拾っている。大量のゴミの写真を見せながら「保津川がこんな状況だとは知らない人が多いんです」と語る。今回のイベントを通して「保津川の現状に関心を持ってもらうきっかけになれば」との期待もある・
 保津川の筏は奈良時代にはすでに行われていたと考えられ、江戸時代末期に最盛期を迎えるが明治から大正期の山陰本線の開通やトラック輸送の普及とともに衰退し、戦後は途絶えてしまった。
 そのため一口に“復活”といおっても容易ではない。現在健在の元筏士は保津町に2人、京北町に1人の計3人のみ。筏作りに必要な「カン」と呼ばれる金具の製作技術も途絶えてしまっているという難題もあった。
 そこで南丹広域振興局や文化資料館と連携し、元筏士や流域住民への聞き取り調査などを行ってきた。今回は通常の半分の6連の筏で、保津大橋河川敷(保津町)からかつての筏の中継地だった山本浜(篠町)までを保津川遊船の若手船頭が下る。
 「当面の目標は本格的な12連の筏で保津峡を抜け嵐山まで下ること。しかし単にイベントで終わらせるのではなく、将来的には筏で運んだ材木を京町家の再生や民具など京都の暮らしの中に生かせる形で利用できないかと考えています。森林の荒廃が進む中、材木を運び出す一つの手段として確立するためにも、まずは技術をしっかり付けることが肝心」と話す。
 1300年の歴史と文化を積み、平成の筏が船出する。

亀岡市民新聞は全国でも珍しい、10万人に満たない小さな町の「まちの新聞」。週1回の発行で、亀岡の政治、経済、商業、教育、福祉、文化、歴史、さらには町の開発や地域のイベント、祭り、スポーツ、サークル活動、自治会活動など、「きめ細かに幅広く」取材報道するよう努めてられています。将来は
市内の小・中・高等学校に紙面を提供して、各校独自の学校新聞特集を作ってもらうことが、当面の夢だとか。

ヨーロッパに行くといつも感心するのが、地方都市の「豊かさ」。先日、京都CSR研究会でお会いしたジャーナリストの高松平蔵さんがおっしゃっていたのは、そういう町にはちゃんと地域のジャーナリズムが息づいている、ということでした。そして、京都には京都新聞はじめそういうジャーナリズムがやはり元気に存在していて、それが京都の街の力の源泉ではないか、ともおっしゃっていました。

プロジェクト保津川も、地域の発展のために川を通じて貢献できるよう、がんばっていきたいと考えています。

亀岡市民新聞社:http://www.kameokanews.co.jp/

(H)

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