2008/07/01

DANGER! 保津川は遊泳禁止です!

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今日から7月、夏休みももうすぐですね。海や川に、遊びに行くのが待ち遠しい時期です。さて、JR保津峡駅に「遊泳事故多発! DANGER! キケン!」という横断幕や看板が設置されました。

保津峡駅直下の保津川は、都心からのアクセスもよく、気軽に渓谷の中で泳げるとあって、毎年たくさんの人が訪れています。そしてまた、毎年少なからぬ人が溺れて、時には水死事故も起こっています。

保津峡駅直下の保津川の河原、かつて清和天皇が鵜飼を楽しんだことにちなみ、「鵜飼が浜」と呼ばれています。川幅も広く流れも穏やかで、一見、泳ぐ
のに適しているように見えます。しかしすぐ下流の「壁岩」で川は直角に大きく流れを変え、川幅も急に狭くなります。つまり、なみなみと張ったお風呂の栓を
抜いたような状態で、水の中は激しく、複雑に渦巻いているのです。

そのような場所ですから、保津川下りの船頭さんの間では昔から「練り戸(ねりと)の瀬」と呼ばれてきました。「練り戸」とは、水が練っている、つまり渦巻いている、ということ。後々、言葉がなまったのが有名な瀬戸内海の「鳴門(なると)」の語源です。

では、なぜ瀬戸内海の言葉がこんな山中に残っているのでしょうか?

保津川下りの歴史は、400年前に角倉了以が保津峡を開削し、舟運を始めるために岡山・和気川の船頭を連れてきたことに始まります。彼らはもともと
は瀬戸内海の水軍でした。瀬戸内海の水軍は藤原純友に代表されるように、時の権力者も手に負えないほどの大きな力を持ちました。それを恐れた徳川家康は、
彼らを川舟の船頭とします。つまり「陸に上がったカッパ」としてしまい、力を奪ったわけですね。そんな彼らが保津川にやってきて、故郷の瀬戸内海と同じよ
うに、水が激しく渦巻く危険な箇所に、「練り戸の瀬」と名づけた、ということだそうです。

昔の人びとは、地名によって、その場所が安全か、それとも危険な場所なのかを後の人にまで教えてくれています。しかし、最近では、その地名もどんど
ん忘れられ、それと同時に人びとの危機意識も薄れてしまっています。特にこの保津川には、外国人の姿も多く、危険性を訴えることはとても重要なことではな
いか、と思います。まさか、鳴門の渦潮の中で泳ぐ人がいないと思いますが、保津川にも、同じように危険な場所があるのです。今年こそは、悲しい事故が起こ
らないでほしいものです。

プロジェクト保津川 原田

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